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〈中学受験〉江戸幕府の仕組み【幕藩体制と鎖国】を見やすい図説で学ぶ!

幕府体制・鎖国のついて

江戸時代の勉強を始めると、幕府の組織政治の仕組みがより細かくなってきて覚えることもたくさん!
でも、これらは江戸時代が長く続くことにつながる幕府のカギの一つ。テストでもよく出てくるので…
・幕藩体制
・鎖国

をしっかりと頭に入れられるようまとめました。

視覚的に理解しやすく覚えやすいように組織図や、年表を作っています

これから江戸時代を学習する人や、おさらいをしておきたい人は、ぜひ組織図や年表をながめながら勉強してみてください。

こんな事を覚えたいお子さんに…

・幕藩体制ってどんな体制?
・鎖国ってどのように進んでいったの?
・鎖国下でも貿易をしていた相手国は?

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暗記の苦手な子が、効率的に歴史を学習するにはどうしたらいい?そう考え作成した日本史年表の特徴をまとめました!

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目次

江戸幕府の始まり

安土桃山〜江戸時代の年表

まずは江戸幕府の始まりを簡単におさらい。

1600年

関ヶ原の戦い
豊臣方である石田三成が率いる西軍を、徳川家康が率いる東軍が倒す

1603年

徳川家康が朝廷から征夷大将軍に任命される
江戸幕府を開く

1614年

大坂冬の陣

1615年

大坂夏の陣
豊臣氏が滅亡

1603年に成立した徳川幕府は、およそ260年続きます。

長く続いた江戸幕府。どのように天下を治めていたのか…

ここから、江戸幕府の政治について分かりやすくまとめていきます。

江戸幕府の政治

幕藩体制

幕藩体制の組織図
幕藩体制の組織図

江戸時代は、上の組織図のように
・将軍をトップにした中央組織である『幕府』
・幕府が統制する『藩』
の二つによって国を治めていました。
『幕藩体制』とは、このような幕府と藩による支配体制のこと。

それぞれの組織について詳しく見ていきます

幕府の組織

幕府は、将軍をトップに各役職が置かれ組織されていました。

大老    − 臨時に置かれる最高職


老中

幕府の政治一般。老中の下に、
大目付大名の監視
・町奉行…江戸の政治、警察、裁判
・勘定奉行…幕府の財政
・遠国奉行…重要都市の監視

・若年寄り

老中の補佐役

・寺社奉行

寺社の取り締まり

京都所司代

朝廷の監視

・大坂城代

西国における軍事

こうして一つ一つの役職を見ていくと、確かに、国を治めるために必要な事柄(軍事、財政、江戸の政治…など)を全て押さえてる感じがします。

大老老中京都所司代などはよくテストでも見かける!

幕府の役職“大目付”によって監視されていた“大名”が治めていた領地やその組織を『藩』と言います。

▪️大名の種類▪️

そもそも、大名とは一万石以上の領地を与えられた武士のこと。その大名には3つの種類があり…

・親藩

徳川氏一族

・譜代大名

関ヶ原の戦い以前から徳川に従っていた大名

・外様大名

関ヶ原の戦いより後から徳川に従った大名

親藩譜代大名は重要な土地に、外様大名は江戸から遠い土地に置かれました。

『御三家』とは、家康直系の子孫が治めた尾張・紀伊・水戸の徳川家のこと

また、石高が一万石以下で、直接将軍に仕え、謁見できる幕臣を『旗本』と言います。

▪️幕府による大名の統制▪️

幕府は大名を取り締まるため、次のような決まりを定めました。

1615年

武家諸法度の制定
(2代将軍 秀忠による)

1635年

参勤交代の制度が武家諸法度に加わる
(3代将軍 家光による)

武家諸法度』では、大名が守るべき事が定められ、違反すると処分が下されました。

参勤交代』は、
参勤…主君の元へ参ること
交代…自分の領地へ帰ること
を意味し、“諸大名は1年間江戸に滞在したのち、次の年は自分の領地に戻る”という制度。
この制度の目的は、
『大名が自分の領地に戻っている間も、妻子は人質として江戸に住まわすことで、大名に忠誠を誓わせる』というものでした。


参勤交代』は、藩の財政力を削ぎ、幕府へ反乱を起こさせないためのもの、とも言われていました。
が、『武家諸法度』の中には、“参勤の時の人の数を減らし、費用を抑えなさい”といった内容が書かれているため、近年では、“幕府には、各藩の財政力を削ぐという目的はなかった”と考えられているそうです。

幕府は藩を統制し、反乱などを起こさせないように、上手に決まりを作ってたということ!

ちなみに、天皇公家を統制するものとして『禁中並公家諸法度』も定められていました。

幕府の領地

江戸時代の領地
江戸時代の領地

上のグラフは、江戸時代の領地がどこに支配されていたかを示すグラフ。
これを見ると…

約4分の1

幕府が直接支配した領地

約7割

大名の領地

となっています。この4分の1の領地は
・幕府が直接治めていた領地『幕領』
・旗本の領地

を合わせたもの。
『幕領』には下のような場所も含みました。

・都市

・京都
・大阪
・奈良
・長崎など

・鉱山

・佐渡金山
・生野銀山
・石見銀山
・足尾銅山など

政治経済に重要なところは、幕府が直接支配!

幕府の財源

幕府の主な財源は、
・幕領からの年貢
・長崎での貿易による利益
・鉱山からの収入

など。
この内、最も大きな財源は年貢だったそう。
重要な都市や鉱山を治め、財政は潤っていたかと思いきや…。幕府の台所は初期の頃から火の車だったようです。
財政立て直しが必要となり、中期以降は三大改革などが行われていくんですね。

鎖国

家康は、商人や大名に朱印状(海外へ渡ることの許可証)を与え貿易を保護。朱印船貿易が盛んになり、日本人が東南アジアに移住し、日本町がつくられました。シャム(現在のタイ)の日本町の長であり、近隣諸国と戦ってアユタヤ王朝を助けた人物として、山田長政が有名。

海外と貿易が盛んだったのに、なぜ鎖国へと進んだのか??流れを確認!

鎖国の流れ

鎖国への流れ
鎖国への流れ

外国との貿易が盛んになると、日本でキリスト教の布教が進み信者が増えていきました。すると、どういったことが起きたかというと…

  • 身分制度のある日本にとって都合が悪い
  • 西国の大名が貿易によって力をつけたきた

幕府はこれらのことを恐れ、ついにキリスト教を禁止、以降、外国との貿易を統制していきます

1613年

キリスト教禁止

1624年

スペイン船 来航禁止

1635年

日本人の海外渡航禁止(朱印船貿易の停止)

1639年

ポルトガル船 来航禁止

1641年

平戸のオランダ商館を長崎の出島に移す
【鎖国の完成】

キリスト教に関係のないオランダ中国は、長崎での貿易が許されました。幕府は、オランダとは人工の島である出島で、中国とは唐人屋敷と呼ばれる区域(島ではない)で貿易を行ない、利益を独占しました。

鎖国下での貿易

鎖国下における外国との窓口と貿易相手国
鎖国下における外国との窓口と貿易相手国

鎖国下であっても、幕府の統制の範囲内で行われていた貿易があります。

長崎

オランダ(出島において)
中国(唐人屋敷において)
どちらも、幕府が直接管理。

対馬藩

朝鮮
対馬藩が朝鮮の釜山に出向いて交易。将軍が変わるごとに、朝鮮通信使という使節団が江戸に来た。

薩摩藩

琉球
薩摩藩が琉球王国を侵略、支配。しかし、形式的に独立国として琉球に中国との貿易も続けさせ、その利益を得ていた。

松前藩

蝦夷地(アイヌの人々)
松前藩がアイヌの人々にとって不利な交易を行なったことで、アイヌの族長シャクシャインが松前藩に対して反乱を起こすが、敗れる。

幕府は、直接交易は難しい江戸から離れた所との交易を、対馬藩・薩摩藩・松前藩に認めていたんですね

長崎における貿易では、

輸入品

生糸・絹織物・砂糖

輸出品

金・銀・銅・海産物

などが扱われていたそう。干しあわびやフカヒレなどの海産物は、当時から高級食材!
俵に詰めて輸出されたことから、これらは『俵物』と呼ばれたそうです。

薩摩藩富山の薬売りを通じて蝦夷地の昆布を仕入れ、それを琉球から清へ運び、大きな利益を得て財力を蓄えていました。富山は、昆布を薩摩へ運ぶことと引き換えに、薩摩での薬の販売を許されたり、また、清から運ばれた漢方の原料を安く手に入れることができるというメリットがありました。

鎖国下での外国に関する情報

オランダ船や中国船が来航すると、『オランダ風説書』『唐船風説書』という報告書が幕府に提出され、鎖国下での貴重な外国の情報源となりました。

まとめ

今回は、江戸幕府の幕藩体制鎖国についてまとめました。

  • 江戸時代は、幕府という政治の中央組織と、それに統制されたとで国を治めていた。これを幕藩体制という。
  • 幕府は『武家諸法度』の中で、大名の守るべきことを定めていて、その中の一つが『参勤交代』の制度。これらの定めにより、諸大名が幕府に逆らえないようにしていた。
  • 幕府は、鎖国をすることで、幕藩体制を維持。また、有力な大名が貿易により利益を上げ経済力を持つことを防いだ。
  • 鎖国下であっても、4つの外国との窓口があった。(長崎・対馬藩・薩摩藩・松前藩)

江戸幕府が、およそ260年間も力を持ち続けることができた理由…
それは、諸大名や藩、庶民を押さえるための体制や仕組みがしっかりと作られていたから、なんですね。

この記事に載せた部分的な年表や組織図などを一つの年表にまとめた、“見た目スッキリ!分かりやすい年表”を、今後皆さんに使ってもらえるよう準備中です。

幕府体制・鎖国のついて

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