〈中学受験〉日米和親条約・修好通商条約 年号も港も語呂合わせで覚える!
『幕末』における重大な出来事、鎖国の終わりを意味する“日米和親条約の締結”。
そして、それに続く日米修好通商条約。
学ぶ上で押さえたいポイントは…
・条約が結ばれた年
・内容の違い
・開港した場所
など諸々とあり…。
ウチのコは、開港した港が思い出せなくなり、テストで悔しい思いをしたことも。
そこで我が家では、語呂合わせやイラストを使って、まるッとしっかり頭に馴染むように復習しました。今回は、そんな語呂合わせやイラスト、地図を使って覚えやすいようにまとめていきます。
肩の力を抜いて、語呂合わせを楽しみながら復習してみてください!
・日米和親条約と日米修好通商条約の違いがまだ掴めていない
・開港した港の場所を地図で確認したい
・語呂合わせでしっかり覚えたい
\ おすすめ教材 /
おすすめ教材
\\ 歴史の復習を短時間で効率的に //
覚えておきたい重要な出来事を並べた年表の中に『政治の仕組み』『地図』『文化のまとめ』なども収めているから、予習・復習が効率的に♫
暗記に役立つ穴埋めver・赤文字verのデータも収めています!
STORESのショップ『5年生から受験塾 やさしい資料集』からどうぞ
開国の流れ
江戸時代の終わりになると、通称を求める外国船が日本周辺に現れるようになります。
外国船の来航に関わる主な出来事はこちら
- 1792年
-
ラクスマン(ロシア)が来航し通商を求める
- 1825年
-
幕府が異国船打払令を出す
- 1837年
-
漂流した日本人を助け送り届けようとしたモリソン号(アメリカ)を日本が砲撃。
これをきっかけに蘭学者の高野長英や渡辺華山が、幕府の鎖国政策を批判し、1839年処罰される〈蛮社の獄〉 - 1842年
-
幕府が異国船打払令を廃止、遭難した外国船には水と燃料を与えることとする
そしてついに開国のきっかけとなる出来事が…
1853年 黒船の来航 !
アメリカ海軍の艦隊司令長官 ペリーが4隻の軍艦を率いて、浦賀(神奈川県横須賀市)に来航。
それまで日本人が見たことのない蒸気船(塗料が黒かったため“黒船”と言われる)で圧倒的な技術力や武力を見せつけ、幕府に開国を迫りました。
ちなみに、ハハは『ペリー来航』の年号語呂合わせを学生時代から忘れられず…。語呂合わせの中でも、なかなかインパクトがある気がします
1853年 黒船来航の語呂合わせ
黒船で来航したペリー
「いやーゴミの多い国だ!」
日米和親条約
開国を迫るも、幕府に待つように言われて一旦は帰ったペリーですが、翌年の1854年に7隻の軍艦で再び来航。
ついに、幕府は開国を受け入れることになり、約200年続いた鎖国体制は終わりを迎えることになりました。
内容
- 日本は、下田(静岡県)と函館(北海道)の二港を開港
- 日本は、アメリカ船に燃料や食料を供給
- 両国が必要とする場合、下田にアメリカの領事を置くことができる
アメリカはこの条約によって、下田・函館を“捕鯨”や“アジア地域との貿易”のための中継地にすることができました。
- 日本は、下田(静岡県)と函館(北海道)の二港を開港
- 日本は、アメリカ船に燃料や食料を供給
- 両国が必要とする場合、下田にアメリカの領事を置くことができる
アメリカはこの条約によって、下田・函館を“捕鯨”や“アジア地域との貿易”のための中継地にすることができました。
語呂合わせ
【和親】ペリーは親しげに
【下田・函館】下のハコ
【1854年】いいハコよ!
ハコの中には、水や燃料が入っているイメージで!
アメリカ以外の締結国
日米和親条約をアメリカと締結後に、下の三カ国とも同様の条約を結んでいます。
・イギリス
・ロシア
・オランダ
日米修好通商条約
1856年にアメリカ総領事として下田に来たハリスは、日本に通商条約を結ぶよう要求。ハリスに急かされ、幕府は天皇の許し(勅許)がないまま『日米修好通商条約』を結びました。この時の大老は井伊直弼。
反開国派は、勅許がないまま条約を結んだことに反発。井伊直弼は、幕府を非難する吉田松陰らを処罰しました(安政の大獄)。
1860年、井伊は、こうした幕府のやり方に反発した元水戸藩浪士達に暗殺されることになります(桜田門外の変)。
内容
- 函館に加えて、新たに長崎・新潟・兵庫・神奈川を開港
(実際は、兵庫→神戸、神奈川→横浜 が開港) - 日本人に対して犯罪を犯したアメリカ人は、領事裁判においてアメリカの法律で裁かれる
(領事裁判権の容認) - アメリカからの輸入品に対しアメリカと日本が協定して関税率を決める
通常は輸入国が自由に決められるものなのに、日本は自由に変更できない(関税自主権がない)
- 函館に加えて、新たに長崎・新潟・兵庫・神奈川を開港
(実際は、兵庫→神戸、神奈川→横浜 が開港) - 日本人に対して犯罪を犯したアメリカ人は、領事裁判においてアメリカの法律で裁かれる(領事裁判権の容認)
- アメリカからの輸入品に対しアメリカと日本が協定して関税率を決める
通常は輸入国が自由に決められるものなのに、日本は自由に変更できない
(関税自主権がない)
語呂合わせ
【修好】ハリしゅ好き!
【長崎・新潟・函館・兵庫・神奈川】長くて新しいハコ、評 価!
【1858年】「いいハコや!」
ハコの中にアメリカに都合のいいもの(領事裁判権・関税自主権)がたくさん詰まっていて、ハリスが喜ぶイメージで
アメリカ以外の締結国
日米修好通商条約も、アメリカと締結後に他の国とも同様の条約を結んでいます。
・オランダ
・イギリス
・フランス
・ロシア
アメリカ・オランダ・イギリス・フランス・ロシアと締結したこれらの条約を、まとめて『安政の五カ国条約』と言います。
オランダ・イギリス・フランス・ロシアの頭文字をとると
『オイ!風呂!』で覚えやすい!
不平等条約の改正
明治時代になり、不平等条約が改正されます。
何年に誰が交渉し改正できたのか、ここで一緒におさらいです。
- 1894年
-
外務大臣 陸奥宗光により領事裁判権(治外法権)の廃止
- 1911年
-
外務大臣 小村寿太郎により関税自主権の回復
これらも忘れがちなので、年号と改正した外務大臣をまとめて語呂合わせにしてみました
領事裁判権の廃止
最初に廃止した相手国はイギリスでした。
外務大臣の陸奥宗光が、苦しみながら交渉したイメージで。
関税自主権の回復
最初に廃止した相手国はアメリカでした。
Kanzei【関税】とKomura(小村)
Jishuken【自主権】とJyutaro(寿太郎)
を関連づけて覚えると忘れにくい!
まとめ
今回は、日米和親条約、日米修好通商条約を学ぶ上で覚えておきたいポイント、
・条約が結ばれた年
・内容の違い
・開港した場所
などを、丸ごとスッキリ覚えられるようまとめました。
また、明治時代に改正できた不平等条約に関しても、年号とその時の外務大臣をしっかり記憶したいところ。
こんな覚え方もいいかも!と、語呂合わせやイラストを眺めながら、肩の力を抜いて復習してみてくださいね。
コメント